shigusa_t’s diary

当たり前の疑問を口に出せる人になりたい。

「クズ芸人」と正論をとりまく諸条件について

お笑い芸人の鈴木拓が書いた以下の記事が話題になっていた。

ドランクドラゴン・鈴木拓「正論吐いたら変わるのか」 - Togetterまとめ

意外だったのは、大半の反応が否定的なものであったこと。

穿った見方をするとこの鈴木氏の論そのものが「正論」であって、論旨に対して批判すると自己矛盾してしまう壮大なトラップになっていると思うんだけど、 そういう部分は一旦脇に置いて、自分がこの文章から何を読み取り何を感じたかをメモとして記しておきたい。

ざっくりした要約

  • 私はクズ芸人である
  • 上が決めた事柄に対して不満を覚え、対案を出したくなることはある
    • しかし、私はそれを言い出さない
    • なぜなら、対案が生み出す結果に対して責任をとることができないからである
  • 自分が失敗し、ネット上の大衆からそれを攻撃されることには何の抵抗もない
    • なぜなら、攻撃者は自分の生活を直接支える存在ではないから
    • 自分に金を支払ってくれる直属の上司については、指示を真摯に受け止める
  • 正論を堂々と主張していくべきというような風潮があるが、それは間違い
    • 誰もそれを求めてはいないし、やっても変わらない
    • みんながそれをやると社会は成り立たない
  • 正論を言っていいのは、自ら責任を取れる場合だけである
    • それができるのは一握りの人間だけ
  • (日本人が経済成長できたのは個を殺したやりかたをしてきたから)
    • (外国の個人主義を取り入れたからおかしくなった)
  • 会社や組織の中で、能力なしに正論を吐いても誰も耳を貸さない
    • それどころか、組織の足並みを乱す
    • 自分が攻撃されたり、組織や構成員に不利益を及ぼすことにも繋がる
      • それを分かっててそれでも言う奴のことは知らん
  • 私はクズ芸人である

要点をまとめるとこう。 このうち、括弧でくくった部分は論旨とあまり関係ないので読み飛ばしてもいい。
にもかかわらずこの部分に反応してる人が異様に多いのが凄い。炎上のコントロールを知り尽くしている感じがする。

そして、冒頭でも言ったように、この論全体の構成としてはまごうことなき正論である。

  • さまざまな人間が腹の中に言いたいことを抱えていて、でも言わない。どうしてかというと、責任がとれないから。
  • 正論が生み出す結果は、自分にも周りにも降りかかるし、一度起きてしまうと自分一人では容易に収拾できない。
  • 責任を取るということは、正論を振りかざした結果を、自ら収拾するということ。
  • それができる人間は一握りしかいない。

なにもおかしなことは言っていない。正論というものを振りかざすためには条件があるといことを述べている。

「クズ芸人」と「正論」

ここで強調されてる「クズ芸人」っていうのは、要はその一握りの人間であるということで。

こうやって正論を言って、過剰反応する人達に袋叩きにされて、こき下ろされる。議員や会社役員なら辞任騒ぎになりかねない。 しかし、彼の場合、これは特段騒ぎ立てることでもない。なにせ、彼は「クズ芸人」なのだから。

クズ芸人がクズのように見苦しい、でも正しい論を吐いたところで、それは平常運転。 そういうものとして雇ってくれている事務所にも、そういうものとして依頼してくる新聞社にも、想定外の傷がつくことはない。 そういう人である前提で依頼してるんだから、依頼元は当然対策をとり、リスクよりリターンが多いと踏んで使ってくれる。あとは自分らしくやればいい。

逆に、番組構成側の意図に反抗した場合は、その結果は雇い主の想定の範疇から出ることになる。 そこで視聴率が落ちようものなら、土下座しようが腹を切ろうが「責任」はとれない。だから徹頭徹尾従いますよと。 まったくもって正しい姿勢だといえる。

こういう読み方をすると、この人の選んだ生き様、筋の通し方も趣深く見えてくると思うわけですよ。