shigusa_t’s diary

当たり前の疑問を口に出せる人になりたい。

「テロの根絶」に関する考え方

フランスの現地時間で2015/11/13(金)の深夜、犠牲者120人超を数える大規模な同時多発テロ事件が起きた。

イスラム過激派組織ISによる犯行と見られ、彼らの声明によれば、フランス軍のシリアに対する空爆に対する報復であるとされている。 大変痛ましい事件で、哀悼の意を評したい。

事件の概要としては上記の通り悲惨なテロ事件なのだが、本題にしたいのは以下。

ツイッターで流れてきた今回の事件に対しての菅元総理の論に結構な衝撃を受けた。

何に驚いたって、全く中身がないこと。これが一時とはいえ、日本の最高指導者だった人間の発言ということに驚愕する。 確かに迂闊な発言はできないデリケートな話題なのかもしれないけれど、政治の舞台で日本を代表する人間が自身の考えを明確にできないというのは何かが間違っているとしか思えない。

論点は二つ。

  • テロ行為の根絶に際してどうしていくべきか
  • 国際的な対テロの動きにおいて、日本が果たすべき役割は何か

この双方について、「考えなければならない」としながらも「私にもすぐにいい案が有るわけではない」として一切の主張を避けている。 テロとの戦いという国際社会の主要な流れに対して「すぐにいい案」もなにも、事前に考えをまとめておくのが政治家として当たり前の姿勢だと思うんだけど。

それはともかくとして、じゃあ自分はこの問題についてどういう答えを出せるのか、と考えてみた。

いい機会だと思うので、現時点でのIS問題およびテロ問題に対する自分の認識、意見についてまとめておきたい。 特にこの種の問題について専門に学んだことがあるわけではないので、断片的な知識から構成した論にすぎないが、だからこそ現時点の直感的な問題意識をメモしておくことは自分にとって有益だろうと考える。

内容に関して異論や指摘は多々ありうるだろうと思う。是非他の方の意見も伺いたい。

テロ行為の根絶に際してどうしていくべきか

短期的には極めて困難だと思われるので、根絶に向けての長期的な舵取りをどうするべきかという問いだとして考えたい。

まず、テロ行為の根はイスラム的な組織、ないしその価値観にあるわけではないと考える。

テロとは、価値観の異なる大小の組織と、大から小に対する抑圧と、小から大に対する対抗手段の欠如によって生まれる、「自己犠牲によるメッセージ」だというのが私の現時点の見解である。 例えば、アメリカの学生が銃乱射の後自殺する行為も、日本の学生がいじめ行為に対して主犯を名指しする遺書を残して自殺する行為も、私には広義のテロ行為に思えてならない。

上記の行為のいずれも、

  • 社会的には好まれない行為であること
  • 行えば自分自身もただでは済まない(死に直結する)こと
  • 当人の社会的属性に見合わない大きな反響を呼び起こせること

の3点において共通している。

彼らは現状で、少なくとも主観的には死んだほうがマシであるほどに抑圧されていて、しかも社会的にどうしようもなく無力であることを自覚している。 だからこそ、社会的な非を自認した上で、自らの命を代償としてメッセージを残すという選択肢が生まれる。

IS等のテロ組織において、思想的な洗脳の類が施されることはもちろんあるのだろうし、それは衝動的な希死感を増幅したり正当化しうる。 けれど、根底にあるのはその希死感そのものである。少なくとも彼らが自分の命が惜しい、また今日のように明日を迎えたいと思っていればテロは発生しない。

だから、テロの根絶を考えるときに、真っ先に考えるべき解決策は、上記の3項目によって作られる「自己犠牲によるメッセージ」という選択への道を阻むことだろう。

もう一つの方向性としては、そもそも抵抗を不可能にすることがある。

銃を取り上げてしまえば、彼らは銃乱射の後の自殺ではなく、遺書を残しての自殺しかできなくなる。 武器供給源としてのISを叩き潰せば、たとえ彼らの希死念慮の源が未解決でも、大規模なテロ攻撃は起こし得ない。倫理的な良し悪しはともかく、そういう考え方もできる。

数十億の人々の不満の種をあまねく除去することは不可能である。だから、権力によって刀狩りを行う。 そうすることによって、一部の偏った思想の持ち主が多数に被害を与えるリスクが減少し、結果として秩序が保たれる。

「テロとの戦い」の現状

現在テロとの戦いにおいて行われているアプローチは、比較的強硬でリアリスティックなものだと考えられる。

  • 「テロには屈しない」:自己犠牲によるメッセージはなんの効力も持たないことを主張し実証する
  • テロ組織本体への攻撃:武器供給源、洗脳者、抵抗の象徴を破壊してテロ攻撃の芽を摘む

あなたが死んでもメッセージは生じない、だからテロ行為は無駄死にである。という主張を表明すること。 テロの手段としての武器を取り除くこと。思想の過剰化の原因を取り除くこと。これらを軸にしてテロ対策としている。

問題は、このアプローチが果たして有効なのか、他に代替手段はないのかということ。

「テロには屈しない」こと

まず、「テロには屈しない」という主張の是非について。

この姿勢を取ることは必要だが、この姿勢単体では抑止力にはならず、またこれ一辺倒であることは有害ですらないかと考える。

彼らが自らを死に追い込む主たる原因は、メッセージの発信のためである。 その目的を揺るがすことは正しい。が、強いものが「受け入れない」と表明することだけでは決定的でない。

彼らのメッセージは、強者に対してだけ発信されているわけではない。同じ立場に属する弱者の決起を促すメッセージにもなっている。 現状のISのテロにおいては、西側諸国への批判と同時に、「同胞」に対する協力を呼びかけるメッセージが同時に発信されている。

前者は食い止めることができるが、後者はその声明が事実として報道されてしまう以上食い止めることは不可能である。 そして、後者のメッセージ性だけでも、恐らく彼らにとっては死の理由たりえてしまう。

いくらあがいても状況が前に進まない。なら、もっと人が必要だ、もっと大きな事件が必要だ。彼らがそう思いつめても不思議はない。 屈しない姿勢で完全に相手の目的を除去できるなら有効だが、わずかなりとも意味が残ることが、逆に彼らを駆り立ててはいないか。

昨日今日と、日本においても世間はこの話題でもちきりだ。実際問題、有効なメッセージになってしまうのである。 「テロはメッセージにならない」という価値観を広めようというアプローチは、そもそも実現不可能である、というのが私の見解である。

テロ組織本体への攻撃

ISは軍人のみで構成される組織ではない。あの場に共同体を築き、正式ではないにしても国の体裁を整えようとするそぶりさえ見られる。

空爆を代表する攻撃で軍人だけを殺害することは難しい。必ずISという組織に所属する人間にとって大切な非戦闘員を巻き込む羽目になる。

自爆テロは軍事力の多寡に左右される攻撃ではなく、希死念慮をもつ一般市民の数によって左右される攻撃であるといえる。 この種の攻撃は、潜在的な相手の攻撃力を底上げしてしまうリスクがある。取りやめるべきである。

彼らの版図を広げさせないための防衛にリソースを割き、可能であれば拠点の攻撃という戦い方そのものを捨てたほうがよい。

テロの根絶に際する正しいアプローチ

私が考える正しいアプローチは、「テロによるメッセージは受け入れない。しかし、正しい手続きによる対話であれば受け入れる」という姿勢の表明である。

テロによるメッセージという選択肢そのものを潰すことが不可能である以上、彼らの目的を達するための別の手段を用意するしかない。

彼らを論壇に上げるべきである。十分な誠意を表明した上で、広く世界に向けて彼らが発言できる場を確保するべきである。

彼らが命を捨てて行おうとした発信が、命を捨てなくても行える発信であると周知できれば、彼らが死ぬ理由はなくなる。 彼らの抱える不満が、国際社会に真面目に受け入れられたという事実があれば、少なからず溜飲は下がる。

空爆等によって積極的殺害を行っている事実は、テロの根絶のためには致命的な落ち度であり、この手法では戦いは終わらない。

今行うべきことは、対話の場の提供と、対話が生じうるという事実の周知であるといえる。 もしISがその事実を歪めようとするのならば、それを悪として徹底的に糾弾すればいいだけのことである。

国際的な対テロの動きにおいて、日本が果たすべき役割は何か

ISから見て、西側陣営の一員としての日本の立ち位置というのは以下のようなものであると考えられる。

  • 直接攻撃に参加した事実がなく、今後も積極的にはそうしないことが予想される
  • ただし、敵に対して多額の経済的支援を行っており、邪魔な存在である
  • 主戦場から距離的に隔たっており、攻撃しにくい
  • イスラムとの接点も薄く内通者も作りにくい

黙らせたい邪魔者だが、対処の優先度は低いといったところだろう。

日本の立ち位置としての、「誰も殺していない」というのはそれなりに重要な意味を持つ。 この立ち位置単体で見ると、対話における調停者の役割を果たすことも不可能ではない。 が、日本を取り巻く諸条件によって難しい。 戦地から遠く離れていることと、アメリカとの同盟が主要因である。例えばスイスの方が調停者としては適切だろう。

よって、単にISの敵で西側諸国の味方である一国としてこの問題に向き合っていくことにならざるを得ない。 そして、目下のところ国内におけるテロの被害もなく、直接介入することもできない日本にとってこの問題の主導権を握る資格はない。

政治的には、「対話するべきだ」などと主張することは困難だろうし、してしまえば大変なことになる。(某前首相が退任していて本当に良かったと思う)

果たすべき役割という枠にはめるなら、「平和を希求し、テロの根絶に向けて西側諸国と協調する」という毒にも薬にもならない答えにしかならない。 あとは、その役割の中で、いかに自国民にとって有益な戦略をとるかである。

日本のとるべき戦略

方向性としては、ISの早期崩壊を狙った積極的介入と、自国の安全を狙った積極的非介入の2パターンがあると思われる。 私の意見としては、後者をとるべきだと主張する。

活発な間接的支援を行い、場合によっては集団的自衛権も行使し、もしテロの原因を早期に断つことができれば国民の安全は確保できる。 しかし、原因を断つということの困難さは上記で述べたとおりである。 テロの原因は国のような実体を持つわけではない。たとえ広大な領域を焦土にしても、思想的な共鳴者がいるかぎり戦いは終わらない可能性がある。

そして、積極的に日本が介入すればするほど、当然日本国民は危機に晒される。 テロに対する防衛は非常に難しく、一度優先度の高い敵国としてターゲットされれば完全な防御は困難だ。

IS側に冷静な判断力があるのであれば、「殴らないかぎり絶対に攻撃して来ない」「軍事リソース的には先進的で洗練されている」という日本の特性を鑑みれば、まず殴りかかろうとはしないだろう。 殴らざるを得ないのは、補給線としての日本の比重が大きすぎて、潰さないことには立ちゆかなくなった時、ないし冷静な判断ができなくなった時である。 既に日本人誘拐・殺害の前例がある以上安全であるとはいえないが、少なくとも他国を差し置いて大規模な攻撃をしかける合理性はない。前述した攻めにくさもあり、リスク過多である。

日本に積極的攻撃というオプションがない以上、傍観は有力な選択肢であるといえる。

問題は西側諸国の不信感で、「いざというときにこの国はパートナーになるのか?」という疑念だけは抱かせないようにしなくてはいけない。 同盟国としての信頼度を保てる範囲での支援をし、直接攻撃を行う事態だけは回避するというのが日本の取るべき合理的な選択肢だろう。

まとめ

  • 強硬路線でテロの根絶は無理
  • アピール手段としてテロより対話が有効であるという意思表示に切り替えるべき
  • 日本は西側と歩調を合わせれば良い
  • 日本の戦略としては、許される範囲で介入度合いを小さく保つべき

というのが現状の自分の意見。

一度徹底的に考えておきたいと常々思っていたのですっきりした。