花と蛾
幼児は、時として突拍子のない感性をもつものである。
家族で花の博覧会に訪れたことがある。
幼いころの私は、展覧場の様々な花が主張する強烈な匂いに対して、素直に「臭い」と感じた。
家族は言った。「いい匂いだねえ」と。
そうか、これが「いい匂い」なんだ。私はそう学習し、首を縦に振った。
道端で、澄んだ青色をした小さな蝶を見つけたことがある。
幼いころの私は、その色と、どこかたどたどしい飛び方を好ましく感じた。
友人は言った。「それ、蛾だよ。うわ、こっち来た、気持ち悪い」と。
そうか、蛾というものは忌避されるものなんだ。私はそう学習し、以後それに倣った。
たくさんの常識を拾って、一方でさまざまな感性を捨ててきた。
それは学習であり適合であり、私がこの世界で生きていくにあたって必要なプロセスだった。
ある芽を伸ばし、ある芽を摘むことで子供は大人になっていく。
今は、花の香りは好ましいものに感じるし、綺麗な色をしていてもやはり蛾は蛾で、触れようとは思えない。
何か不可逆なスイッチを切り替えてしまっていて、過去には戻れない。
少し香料のききすぎたフレーバーティーを淹れたとき、むせかえるような花の香りのなかに、ふと過去の自分がよみがえってくることがある。
私は彼に、花の香りはいい匂いであると伝えるべきだろうか。こんなにも毒々しいのに。