shigusa_t’s diary

当たり前の疑問を口に出せる人になりたい。

deschoolingさんからの言及を読んでいて考えたこと。

「LGBT」への懸念 - deschooling web

私個人は、性的嗜好そのものや性自認によって人が差別されることには反対の立場をとる。さらには、結婚は同性か異性かに関わらず認められるべきであり、支障があるならば結婚制度を改正すべきであるという立場である。さらに同性カップルが子どもを育てることについて、もしそこで子どもの発達に何らかの問題が発生するならば、それは社会の在り方に問題があり、同性カップルに問題があるわけではないし人々の選択を制限すべきでないと考えるのが望ましい。

以上から分かる通り、性的マイノリティに関する私の考えは id:t-shigusa さんと衝突する点がある。

というお話だったんだけど、あの記事で書いた内容はdeschoolingさんの主張とそんなに変わるところがなくて、特に衝突はしていないような気がする。 特にぶつかるのが嫌で意見を引っ込めているわけではなくて、内容の実質として。
(余談として、議論の過程で新しい情報を得て主張を変えるならともかく、誰かとの関係を気にして迎合する形で意見を曲げることはこのブログでは絶対にしないと思う。そして、意見が合わないからと言って相手の人格を否定することもない。以前おっしゃっていたブログ開設の背景を鑑みると、deschoolingさんもそうだろうと思っている)

単純に自分の記事が至らなくてわかりにくかった可能性はある。あの記事は「問題に対して今できることは何か?」に傾斜していて、「理想的な形は何か?」という部分をさらっと流しすぎていたかもしれない。十分に社会的な理解が広がった後にたどりつく理想的な形がどうあるべきかという問いに答えるなら、上記引用と全く同じ答えになると思う。特に異論は見当たらない。

目指すべきところと今できること

つまるところ、どこを目指していくべきかという話と今何をすべきかという話は、同じ理想を共有していても一見食い違うことがあるんだな、と思った。
理想的な社会が実現した後ならば結婚制度に同性婚を組み込むことも同性カップルが子供を持つことも問題ないと思う。 ただその形に向けて今まっすぐに走り始めるべきかというと話は別で。

たとえば今すぐに同性婚を許すために制度改正をはじめると、同性婚という概念自体に反対する人たちの他に、たとえば制度変更によって混乱に陥りかねない業種の人たちが反対に回る可能性がある。
前者は思想的に相容れない人々だけど、後者は単に実生活上の面倒を嫌っているだけだ。
だとすれば、回り道をした方が結果的に理想実現のための地ならしがしやすいのではないかと私は思う。
準結婚のような制度であったとしても、それが広く運用されれば徐々に社会の理解は広まっていくはずで。そしていちど広まってしまえばそれを結婚に統合する抵抗感も減る。結果的に理想的状態を達成するまでの所要時間は短くなるように思っている。

子供の件についてもそうで、今現在の日本でそのような形で家庭を持つと、子供が不当に抑圧されることはほぼ疑いがない。
最終的な理想が実現された社会において、同性カップルが子供を持つことについては賛成できる。また、現状でも何か子供を幸せにしうる十分な目算があるなら問題ないと思う。
しかし、今無策に同性カップルが子供を持つことは、親を選ぶことのできない子供に対して、親が抱えたカルマを押し付けることに等しい。
それは親やその他の人々の理想の実現のため、ないし社会のあり方への抗議のために、未来ある子供の人生を生け贄に捧げることであり、私は断じてそれを推奨はできない。

こちらに関しては、そんなことは気にせず同性カップルでどんどん子供を持った方が社会の理解は早く得られるのかもしれない。
ただ、その裏で自身のアイデンティティにもやもやを抱え、抑圧された幼少期を過ごす子供たちが生じることになる。
それをよしとするかどうか。あくまでどんな手段を選ぶかという問題だと思う。

LGBTという呼称への懸念について

記事中の主題である「LGBT」という呼称への懸念については全くその通りだと思う。
恥ずかしながら、元記事は後の記事に繋げるつもりで書いていたこともあり、同性婚に関する部分にばかり囚われていて、トランスジェンダーに関する視点がすっぽり抜け落ちていた。 というよりも、曖昧に4者をまぜこぜにしたまま論を進めていたように思える。

結局、この4者が抱える問題はそれぞれに異なっていて、それを便宜上LGBTというラベルで一括りにしたにすぎないのだな、という印象を受けた。
このようにラベル付けすることにより、実質は異なっていても似た傾向の抑圧を抱える人々が共に声をあげることができる。
これはロビイング等のためには有効だろうし、そういう意味では合理的ではある。

ただ、そのように呼ばれることで私のように問題を矮小化して考えてしまうケースがあるかもしれないし、そのように一括りにされたくない当事者がいるかもしれない。
こういう視座を持つことはとても重要だなと感じた。

婚姻の本質について

まだ考え中。
現状の一般的な夫婦関係をイメージして、いくつかの典型的な要素を考えると大抵のものには反例が見つかる。
子供を残すことであるとすると不妊のケースもあるし、あえて子供を産まない決断をしているケースもある。
別居のケースがあり、夫婦別姓があり、財産関係も様々だ。

様々な要素の中でほぼ唯一生き残っているのが「一組の男女」であるような気すらしてくる。
これを取り払ったときに一体何が残るのだろうか。「一組」だけ残すこともできるだろうが、それに意味があるのかどうか。
そもそも、当事者としての同性カップルは婚姻関係によって何を得ることを望んでいるんだろう。

ブログ上での議論について

大抵実世界でこの手のセンシティブな問題を議論する時は「このぐらいでやめておかないと面倒くさい奴だと思われるな」というような思考で、ほどほどのところで適当に妥協してしまうんだけど、疑問を疑問としてきちんと表明して徹底的に詰めていけるのは心地よいなあと思った。