shigusa_t’s diary

当たり前の疑問を口に出せる人になりたい。

バカになってもいいと思う

「バカ」について - この夜が明けるまであと百万の祈り

書いてあることはよく分かるんだけど、むしろここ最近はここでいう「バカ」を意識的に目指していったほうがいいのかもしれないと感じている。

「マサカリ」という文化

技術系のコミュニティを見ていると、よく「マサカリを飛ばす」という言葉が使われている。
これは技術的に誤ったことを大々的に表明した人に対して、文字通りマサカリ(手斧)のように突き刺さる容赦無い指摘を浴びせることを意味している。

このマサカリなんだけど、(少なくとも一部界隈では)否定的な印象があまりない。「マサカリ歓迎です!」「もっとマサカリを投げ合いましょう! enjoy!」とか言ってる。
それを見ておそろしいと思って近づかない人もいるんだけど、中で楽しそうにやってる人もいる。往々にして斧を投げ合ってる人たちの技術力は極めて高い。

結局彼ら技術者にとって何が害悪かといえば、間違った知識を間違ったまま保ち続けて、さも理解しているかのように振り回す人間が一番困る。
そういう同僚はバグを生むし、おかしな方向に突っ走るし、勘違いする後進のエンジニアを生みかねないわけで、指摘して是正しておくのが結果的に自分のためになる。

だから彼らは誰かの誤りを指摘する手間を厭わないし、自分に飛んできたマサカリも真摯に受けとめる。
指摘をもらえば自分の技術力も高まるし、それは結果的に自身のスキルアップ、ひいてはキャリアやお給料のアップにも繋がるので、むしろ飛んで来るマサカリは貴重な贈り物なのである。

誤りを内に秘めることの意味

マサカリが投げ合われるコミュニティにおいて許されないのは、「指摘されて明らかに誤っているのに改めない人」である。これはまあ当たり前だ。
この手の人は相手の指摘の手間を消費した上で、誤った知識の伝播も継続するというのだからそれは嫌われるだろう。

ただ、「誤った知識を内に秘めて公開しない人」も表立っては叩かれないが問題である。
彼らは自身の仕事で結局その誤った知識を使ってしまう。ただ、広く表明してくれないので是正のしようがない。
社会の何処かに存在し続けて、ひっそりと誤りを伝播し続ける困った存在だといえる。
そうした人が斧使いの視界にいればまた内々に指摘するだろうけど、そうでなければ野放しにするほかない。

「バカ」になることを恐れて自身の至らない思考を封印していくと、後者の困った人になってしまう。
マサカリの話は技術系のコミュニティの特殊な事情が絡んでいるので、別に仕事に用いるでもない思想信条やコンテンツ評論などでは必ずしも通用しない。
でも、同じ構図が全く無いわけではない。思想や評論における前提知識の誤りは偏見として伝播して災いを生むので、できることなら正しい知識が広がったほうがいい。

「指摘」と「意見」の差

自分にとっての「バカ」は知能指数や学校の成績は一切関係ないし、そもそもバカであることが悪いとは思ってません。むしろこの意味でのバカになることが必要な状況ってのはとても多いと思う。
ただ、あんまりにも早い状況でバカになるのは良くない。「バカ」状態で書いたことは容易に暴力になりうると思っているからです。
あまりにも少ない情報しか得ていない状態でバカ状態になってしまい(学習を停止し)、その状態で相手を決めつけてしゃべる場合、それはほとんど己の先入観や偏見の押し付けに過ぎない。それはハラスメントと紙一重だと思います。
なので、嫌いな相手ほどそれについて語るときは慎重であるべきで、つきあいたくないなら無言でブロックしたほうが良いと思います。

これはごくもっともな話で、意見を述べるなら最低限必要なだけのサーベイをしてからにするべきだと。
適当に述べた意見が都合よく的を射ていることはそうないだろうし、この主張はよくわかる。(この記事も一応元記事に関連する一連の記事に目を通してから書いている)

ただ、これはあくまで特定の対象に指摘を加える時、つまりマサカリを投げる側の心構えなんじゃないかと思う。

それは違うぞ、こっちが正しいんだぞといって投げるマサカリがそもそも誤っていたなんてことがあれば余計に場の混乱を招く。
「指摘」という立場を取るなら、そこには十分な根拠がなくてはいけない。これは当然のことだ。だからマサカリには手間がかかる。

ただ、意見については前述した理由でむしろ至らなくても積極的に表明したほうがいいんじゃないかと思っている。
本来言論にも思想信条にも自由が保証されているはずで、私はこう思う、と表明することに何かしらの制限が加えられる必要はないはずだ。

「ここまでは分かった。でもまだ自分に見えていないものがたくさんあるはず」という姿勢が好き - この夜が明けるまであと百万の祈り

だいたいここに書いてあるスタンスに近い。
現時点での自分に誤りがあるかもしれないという懐疑と、指摘に対して真摯に応じる姿勢だけ持ち続けていれば何を言おうが問題ないのでは。
そこに看過できない誤りがあれば誰かが指摘するだろうし、読むにも値しないと判断されればスルーされるだろう。指摘にきちんと応えることさえできれば、別段だれも不幸にはならない。

最近ではちょっと迂闊なことを言うと炎上して袋叩きにされがちな風潮があって、これが意見を表明しにくい傾向に拍車をかけている気がする。
せっかく実生活上の属性から離れたネット論壇にいるのに、素直な感想すら表に出せないというのはどうも勿体無いなと思う。
意識的にもっとハードルを下げていってもいいんじゃないか、と個人的には感じている。

まとめ

ある程度考えをまとめてから発表するということは言論空間全体に流れるテキストの質に寄与するし、悪いことではない。
特にそれは指摘という行為において必要条件だといえる。誰かの意見を否定するならそこには根拠が欲しい。

ただ、質の悪い意見を発表してしまうことを恐れるあまりに発表そのものを避けてしまうのはもったいないな、とも思う。
こんな問題意識だけあるんだけどどうだろうか、というスタンスで投げてみて、誰かと一緒に考えていくというスタイルがあってもいいんじゃないだろうか。

というのが現時点での自分の感覚。もちろんここにも誤りや議論の余地がありうると思う。
このブログではこれからも誤ったことを書くことがあるだろうし、それに対するマサカリも大歓迎なので、よければどんどん投げてほしいなと思っている。