2015年の私的な振り返り
月並みに今年一年を振り返ってみる。匿名でやっている都合上、心の中の動きとブログの話しか書けないのがあれだけど。
今年の思考の動きの概括
年始めはかなり鬱々としていて、自己認識の見直しみたいなことを延々やっていた。
これまで努力のために自己否定をして、こんなダメな自分は人より頑張らないと人並みにならないというロジックで這い上がろうとしてたんだけど、ここ数年でそれに限界が来て、徐々に軌道修正していた。今年になってようやく着地した感じ。
「なんとなく」の排除と徹底的に考えること
ひとまず何事についても納得がいくまで事前に徹底的に考えておくべきだ、という結論に達した。
自分は瞬時に妥当な答えを出すタイプの頭の使い方がとても苦手で、この土俵で人と張り合うのは恐らく困難。逆に徹底的に考えてどこかにメモっておくスタイルだとそこそこいい線をいくらしいことがわかった。
ある物事に対して自分が思考を放棄したなら、それは軽蔑するべきことだ。けど、自分の論理を突き詰めて、合理に合理を重ねて辿り着いた回答があるならば、それは自分にとっての真実だ。後で何らかの知見があって誤りだと気づいたとしても、それは「その時点の自分」にとっての真実であることに疑いはない。
他ならぬ自分が「そう考えた」ことは、どうしようもなく事実だし、その思考こそが自分だ。
インタフェースとしての自分の身体性の至らなさを嫌いになることはあっても、自分の思考回路だけは認めてやるべきだ。
と書いてあった。
生きやすさ方向への舵取り
環境に適応できるように自分を追い詰める形のブーストは、結局環境に規定されて進む先が決まってしまう。そもそも思考的にマイノリティである自分は受け身型の戦略だと死ぬということに気づいた。
大事なのは、自分は一体何をつかみ取りたいのかということ。言い換えれば、自分の幸せは何かということ。
色々考えて方向性を決めて、多少自分のポリシーに反していたり体面的にどうかと思われる方向でも行動に移してみることにした。匿名でどうでもいい思考を垂れ流すブログを作ってみるとか。
色々やってみて、生きやすくなったぶん気を配る余裕ができた。結果的に身の回りの環境も良くなった。
等身大の自己の見直し
属性やラベルを取っ払った自分がどうなっているのかとか、逆にどんな属性を保有しているのかとか。
比較するときにある観点で完全上位・完全下位だとして思考停止しがちだったけど、もうすこし解像度を高くすると見えてくるものもあった。
ネット上のアカウントのパーティション切り
公的なアカウントと私的なアカウントを一緒にしたらダメ。きちんと線を引くべきだと思った。
このブログについて
10月末からこのブログを始めたわけだけど、これは非常によかった。
内心の素直な感想を書き留めることはこれまでも続けてたけど、外部に向けて書き出してみて得られるものは多かった。
ただ外に向けて公開することを前提にテキストを書いているとそれだけで偏る部分もあるな、と感じた。
匿名でやっていても書きづらいことというのはやはり出てくるので、手元に留めるテキストを書く作業も疎かにせず継続したほうが良さそう。
今年のテキストを一通り見なおしても、まとまってるかはともかく内容的に濃いのは年始めのローカルに書き溜めたテキストだった。
ブログ運営について
読みの方針として、
- 全文読んで素直に面白かったと感じた記事にしかスターやブクマはつけない
- 数記事読んで面白いと感じたブログしか読者登録しない
- 読者登録したブログは基本的に全記事ちゃんと読む
- 新規開拓はホッテントリやはてブ新着よりもはてなブログ全記事新着を重視
書きの方針として、
- 書きたいことを書きたいように書く
- 1日max1記事、週平均2~3記事ぐらいのペースを維持
- アクセス稼ぎやSEO、ブクマ数は無視
- 読んでくれる方・他ブロガーとの交流の間口はなるべく広くとる
という感じでやってきた。このあたりの方針は基本的に成功だったと思う。
著名なブロガーを購読するよりは遥かに中身のあるタイムラインができたし、息苦しさを感じることなく活動できた気がする。
上記方針は現状維持として、来年は今まで興味のなかった分野まで読みを広げることと、もう少し凝った綺麗な文章を書くことに注力していきたい。