shigusa_t’s diary

当たり前の疑問を口に出せる人になりたい。

LGBTに関する考え方

自分自身はいわゆる一般的な異性愛者で、現在身の回りにもLGBTに属する人はほとんどいない。(いるのかもしれないが、少なくともカミングアウトされてはいない)
ネット上でよくこの手の話題を見かけるようになったので、現時点での自分の考えをメモしておく。

LGBTであることは誰にも止められないし認められるべき

これについてはもうだいぶ社会的に浸透した見方だろうしあえて言うまでもないけど、そのような志向性を持つことは認められるべきだと思う。
生まれ持ってそういう思考を持っているんだから、それを禁止するというのはその人格の存在を認めないことにすら近い。思想の自由を持ち出すまでもなく、人として当然の権利。

性嗜好上かみ合わない相手の存在はお互い意識し尊重するべき

こちらが好きになった人が同性愛者で、お断りされた場合は素直に諦める。
逆に自分が同性からお付き合いを求められても応じることはしない。

同性愛が尊重されるべきなら異性愛も尊重される必要があるのは当然だと思う。 そういうふうに嗜好ができてるんだからどうしようもないということがお互いに言える。
この構図を考えると、現状のLGBTと非LGBTの割合が大きく開いている以上、LGBT側の人は選択肢が少なすぎて大変だろうなあという気持ちはある。

同性愛を理解できない人の存在も尊重すべき

社会的な理解が進んだ結果、むしろ「同性愛はけしからん」と主張する人の方がマイノリティになりはじめている気がする。
が、彼らがそのように思うこと自体は誰にも禁じることはできない。

「異常だから滅びるべき」といって彼らが暴力を振るい始めた場合は、もちろん然るべき手段で抵抗する必要がある。
けれど、彼らが「異常である」という意見を持つこと自体を批判してしまうのは、結局マイノリティな思考回路に対する弾圧にすぎない。 それは叩く相手こそ異なるけれど、結果的にはマイノリティとしてのLGBT自身の首を締めているのだということは心に留めておいたほうがいいと思う。

自身と異なる思想を持っている人に対してできることは、相手が法を侵していないかぎりにおいて、言葉を尽くして説明し、理解してもらえるように努めることだけである。
それでどこまでも分かりあえなかったのなら、その相手については諦めるほかない。

トイレ、銭湯などの性別分けは外見に従ってほしいと思う

これはほんとに複雑な問題でいかんともしがたいけど、どちらかをとる必要があるなら外見に合わせるべきだと現状では考えている。
内的な意思がどうあるかという問題より、公衆に与える印象がどうかという問題なので。全部共用混浴にするわけにもいかないし。

しかし外見上中性的で区別できない例もあるわけで、その時はどうすればいいんだろう。比較的近いと信じる方を選んでもらうしかないんだろうか。
いずれにせよ、お互いが喧嘩にならないように柔軟に歩み寄る方向を目指してほしい。

同性婚は認められるべきだが、一定の留保がある

同姓が支えあって暮らしていく構図には何の問題も感じない。大切な人がその道を選んだら異性婚と同程度に祝福できる自信がある。

けど、結婚という制度にそれを組み込むかどうかはちょっと別の問題で。
今まで異性婚を前提として様々なシステムが構築されているから、同姓のカップルも結婚として定義すると色々追いつかないところがあるように思う。
誰かが言っていた「結婚と実質的に同機能で、ラベルが異なる制度を併置したらどうか」という意見が今の自分の考え方に近い。

とはいえ、社会的に同性愛が認められたという事実を示す称号としての「結婚」というラベルの獲得にこそ意味があるという考え方もわかる。
社会機能の円滑な運営と折り合いがつくなら、徐々に認められていけばいいなと思っている。

同性カップルが子供を持つことに関しては冷静に考えて欲しい

LGBTとは直接関係なく、生まれてくる子供のために。
同性愛がいい悪いという問題とは全く別軸で、生まれてくる命を強制的に道連れでマイノリティの世界に放り込むことの意味を考えてほしい。

そもそも、養子であることや母子家庭父子家庭であることすら、子供にとっては自我を構成する上での巨大な重荷になる。
同性の両親というのはその中でも相当に熾烈なものだ。少なくとも片方が血縁者でないこと、父親の機能・母親の機能の所在が曖昧になること、身の回りの一般的な家庭と比較不能な環境になること、その他発達過程に影響を及ぼしそうな要素は枚挙にいとまがない。

子供が育っていく過程において直接的な攻撃を受けるリスクも高い。 両親が同性であるという状態が古い世代に理解されないことは当然あるだろうし、日本の一般的な児童の生育環境を考えると、残念ながら無条件の偏見や暴力に晒される根拠として十分だといえる。

理想的な社会のあり方はともかく、現実としてそうであるということ。
愛しあう二人が戦っていく覚悟があるとしても、そこに二人の子供を放り込んで守り抜ける能力があるのかどうか、幸せにできるのかということ。
そこを十二分に考えた上での選択でないと、少なくとも自分にとっては認めがたい。 世界のどこかの同性カップルが子供を持つことについて何か言うつもりはないけど、身内に安易に子供を持とうとする同性カップルがいたら比較的強く制止するだろうと思う。

 

現状の意見としてはこんな感じ。目についた問題をだいたいさらったつもりだけど、抜けがあったら追記するかもしれない。