shigusa_t’s diary

当たり前の疑問を口に出せる人になりたい。

国立電子図書館を作るとどうなるか

図書館なんていらないよね。国立電子図書館を作ればいいじゃん。 | 怪盗ぶらり団

図書館を全廃して電子化し、一元管理する国立電子図書館を作り、定額で閲覧させるというアイデア
非難轟々だけれど、誰しも一度は考えそうな構想ではあると思う。具体的にこれの何がまずいのか、ちょっと考えてみた。

最大の問題は出版市場が立ち行かなくなることであるというのは容易に想像できると思う。これについては元記事も考慮している。

コンテンツの摂取だけ考えれば全て定額の電子的な貸し出しで済むので、本を買う必要がなくなる。その結果、出版社は採算が取れなくなる。

じゃあどうすればいいかというと、国が出版社を買い上げればいいというのが元記事の主張。 現状の図書館運営費は相当なもので、それを出版社に直接流し込めばあとは国民のわずかな負担だけで現状の出版社は維持できる、とのこと。

思考実験をしたいだけなので、細かい計算の正誤真偽は置いておく。
(現状の図書館の運営費+わずかな図書館税)>(現状の出版社の毎年の利益+電子図書館の運用コスト) と仮定する。
つまり、現状と同じ国家予算と、国民が負担する若干の定額料金を出版社に回せば出版社の業務は今と同じレベル以上で回ると考える。

構想通りに実践してみたとして、結果何が起こるか。

思考実験:国立電子図書館

晴れて国民全体に電子図書館へのアクセス権が与えられたとする。 国民はシステムを使いこなし、その時点で出版された全ての書籍にスムーズにアクセスできるようになったとする。どうなるか。

まず最初に、出版という枠組みが市場原理から離れることになる。

紙媒体の出版が生きていた時代、出版サイドは売れるものを作るという目的のもとに企画を立てたり作品を選別していたわけだけど、そこが宙ぶらりんになる。

単純に出版冊数に応じた金額を流しこむだけだと出版社は間違いなく腐る。ので、金額の流し込み方は工夫しなくてはいけない。

妥当な解決策は、読まれた回数に応じて予算を傾斜配分するシステムを構築することだろう。

この場合、これまでなるべく多くの本を売るということを突き詰めてきた出版社は、なるべく多くの回数電子的に借りられるということを目指して作品を企画することになる。 一応競争原理も働き、質の担保も行われる。

しかし、重大な問題がまだ残っている。売上の配分が紙の時代と比べてズレていくことだ。

紙の本より価格が落ち、かつ定額で処理されることで、「時間がなく、金が余る人」よりも「金がなく、時間が余る人」の選択が売上に大きく反映される。 結果として、難解な本よりキャッチーな本に人が群がり、読み手の数が限られる専門書は割に合わない存在になっていくことが予想される。

今でも学術書は図書館に所蔵されることや研究費で購入されること、教科書として購入されることを前提に割高な設定をして読み手の絶対数とのバランスをとっているものが少なくない。

恐らく、そうした本が生き延びていくことは困難になるだろう。 娯楽作品にしても、一般受けする限られた売れっ子だけが生き残り、玄人好みの作品は敬遠されていく。

ここから、現在の出版業界の多様性

  • 多数による低価格な本の購入
  • 少数による高価格な本の購入

の二本柱で少なからず支えられているということがよくわかる。 電子図書館に全てを預けるという選択肢は、市場原理によってもたらされたこの柱を砕いて、閲覧数あるいは国が決めた何らかの基準にまとめ上げるという結果を生む。

多様性を失うか、恣意性を加えるかのどちらかを取らなければいけなくなる。そして、こと書籍(表現、言論)というフィールドにおいては、そのどちらもが致命的になる。

その他の諸問題

  • 周辺業界の継続が困難
    書店は機能しなくなる。印刷業も大幅に縮小する。古書店も供給を絶たれてじわじわ廃れていく。そこからの二次波及まで考えると、実施後の市場がどうなるかの予想は難しい。

  • 電子端末が必須になる
    PC、タブレット端末などを持てない人々、有効なネットワーク接続を持てない人々、電子端末を使いこなす術のない人々を切り捨てることになる。

  • 国サイドが言論を統制しているような構図になる
    政権がトチ狂って図書館制度を弄ったり図書館予算を減額するだけで知識へのアクセスがおぼつかなくなる。予算配分基準で容易に言論をコントロールできてしまう。

  • 出版の新規参入の問題
    誰でも出版できるようにすると敷居が下がりすぎる。基準を設けると国側が主導権を握ることになるのでよくない。

結論

少なくとも図書館側に統合すると多様性や表現言論の自由が担保できないし、面倒な問題がいくつも湧いてくるので現実的じゃないよね、というのが結論。

すっきりしない話だけど、現状の図書館が不便であるからこそ、図書館と出版は今なんとか共存できているんだなあというのが改めて確認できた。

出版の役割として、「一定品質に達しない文書を世に出さない」「多様性を担保する」「権力から独立する」という部分は意外と大きくて、むしろ予算面よりこっちの解決に頭を捻らないといけない。

学術論文なんて全部オープンアクセスにしろよと何度思ったことかわからないけど、それをやってしまうと査読のプロセスが死んでノイズだらけになってしまう。 だから(今学術誌の出版が要求する金額が妥当かはさておき)一定の金額は読者に負担させる必要がある。

限定的に実現するのであれば、一考の余地があると思う。絶版本に限るとか。いま青空文庫がやっているのはそういうことだろうし。

本質的な問題は出版と利益競合することで現状の紙媒体出版プロセスを潰してしまうことなので、そこに触れない範囲で緩やかにオープンにしていく方向なら実現の道はあるかもしれない。