shigusa_t’s diary

当たり前の疑問を口に出せる人になりたい。

「あるくない?」と方言の醸成について

若手のブロガーさんの文章の中に、「あるくない?」という言葉が用いられているのを目撃して驚いた。

「~ってあるくない? みんなはどう思う?」のような使い方がされている。どうやら「あるんじゃない?」と等価な表現らしい。

初めは方言の類かと思っていたが、調べてみると「若者言葉」と評されている。

ブログでこの表現を用いていた方も、標準語の書き言葉の中でこの言葉を使っているあたり、この用法で利用可能だと認識しているようだ。

この表現はいったいどこから来たのだろう。

  • 「~って良くない?」という言い方から類推すると、「良い」のように形容詞として「ある」を用いて、活用して「あるく」になっているのか。
  • あるいは、「あるっぽくない?」の短縮形なのか。
  • 「なくない?」を単純に裏返したのか。

ざっと考えただけでも、このような言い回しが生じ得る遠因は確かに色々とありそうだ。

あるくない? - Twitter検索

検索すると出るわ出るわ。もはや全国的に一般的な用法なのかもしれない。
これだけ定着しているなら、数年後には辞書に載ってしまう可能性もありそうだ。

個人的には誤用から始まる言葉の移り変わりは許容するべきだと考えているんだけど、文法的にも改変されているこのケースはなかなかに衝撃的だった。
上記で列挙したリンクの中には「きれいくない」「きれいかった」のような表現まで取り上げられているが、ここまで来ると幼児語が矯正されずに育ってしまっただけのような印象も受ける。
そういう言葉を用いることが必ずしも悪いとは思わないが、やはり違和感は拭えない。

誤用の伝播場としてのネット・SNS

なぜこのような誤用が全国的に広まるに至ったかだけど、これはインターネット、特にSNSの特性が大きく影響しているように思う。

インターネット以前、思考をテキストに落とし込んで広く外部に公開するためには、出版の形を通らざるを得なかった。 そこには編集者がいたし、校正の作業が必ずあった。市場原理が働くことから、書き手の筆力やリテラシーも一定以上が担保されていたとみていいだろう。

しかし、今となっては誰もが公的に文章を発信できる。端末が利用可能な状況にさえあれば、文法的に未熟な小学生であろうとも、だ。
もし小中高生が日常的に触れるSNS上で飛び交うテキストに、「あるくない」「きれいかった」が含まれているとどうなるか。恐らく、読み手はそのような日本語が存在するのだと学習することだろう。
いずれ読み手もその表現を使い始める。ネット上の閉鎖的なサークルの中には編集者もいなければ大人すらもいない。その誤用はクラスタ内に標準語として蔓延することになる。

こうした誤用は、これまでも至る所で生じていたのではないかと思う。 ただ、会話の中でそうした誤用が行われたとしても、それが会話というインタフェースで行われている以上、その瞬間に物理的に接近した人々にしか伝播することはない。 そして、そのサークルが時間経過で瓦解した後は、各々の成長過程の中でそれが誤用であることに気づき、自分一人意地を張って使い続けるわけにもいかないから、自ら修正していくことになる。

しかし、テキストについてはその限りではない。誤用は用いられた時点でその場に残り、それが時間と距離を超えて無数の人々に広がっていくことになる。 当人がその誤用を使うことをやめたとしても、テキストは残って誰かに影響を与え続ける。そのテキストを目にする人たちは、まだそれが利用可能な表現であると認識しうる。
これは、偶然に生じた誤用が伝播していく速度、およびその広まり方の強度や誤用の生存確率が大幅に高まることを意味する。

現在では、SNSを流れるテキストばかり読み、本も新聞も滅多に読まないという人々も多い。 こうした場合、SNS上で得た語彙が誤用であると気づくことすら困難になる。
誤用が異常な拡散速度で広まり、彼らにとっての標準語として一度定着した後、一生涯にわたってそれを修正する機会が得られないことすらありうる、ということになる。

今や、誰かが誤用を始めてしまうと、歯止めが効かない世界になっているのではないだろうか。

クラスタ方言の醸成

これまで方言は、ある地域性によって長期間にわたって醸成されるものだった。物理的距離によって隔離された集団の中で、長い時を経て言い間違えやなまりが蓄積することで生まれてきたとも考えられる。

しかし、これからはインターネット上のクラスタによって、世代単位で誤用が伝播され急速に醸成されることになるかもしれない。

属するクラスタによって誤用が蔓延する確率は異なるように思う。具体的には、校正の入ったテキストに幼少期からどれだけ触れるかによって色分けされるのではないだろうか。

この構図は、イギリスにおける社会階級別の言葉遣いの存在にも似ているような気がする。

イギリスの階級と言葉遣い - Jinkawiki

時代が進み、技術が進歩したがゆえに、こうした言葉の断絶が現代日本においても再生産されてしまう可能性がある。

誰もが発信できる場としてのネットがあるのが当たり前の時代になってきているわけだけど、この言論環境の変化は思った以上に色々なしわ寄せを生むかもしれないなと思った。